業界動向
Access Accepted第544回:ゲームにも大きな影響を与えたゾンビ映画の父,ジョージ・A・ロメロ監督
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」や「ゾンビ」で知られる映画監督,ジョージ・A・ロメロ氏が77歳で死去し,そのニュースは日本でも多くのマスコミに取り上げられた。世界観を含めて,「ゾンビ」という存在を作り上げた人物であり,その影響はゲーム業界にもおよんでいる。今週は,そんなロメロ監督の業績を簡単に振り返ってみたい。
社会的メッセージが込められたゾンビ映画の制作者
本連載でも,「ゾンビとゲームの不思議な関係」や「洋ゲー世界を知るための基礎知識 〜 ゾンビ偏」などで,欧米ゲームにはなくてはならない重要な存在,「ゾンビ」について何度も紹介してきた。ロメロ監督は,1968年に公開されたモノクロ映画,「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」でゾンビを生み出したことにより,“ゾンビ映画の父”と呼ばれている。
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」以前のゾンビは,ブードゥー教の伝説に基づくイメージが強く,魔術で死から呼び戻された,感情を持たず,意のままに操られる死人だった。
それを,何らかの理由によって無数の死者が蘇り,脳を破壊しない限り生きている人間の肉を食べるために襲ってくるという現在の一般的なゾンビ像に作りかえたのが,ロメロ監督だったのだ。
そんな,「ゾンビ映画の嚆矢」として語られることが多い「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」だが,SF作家リチャード・マシスンの小説「I Am Legend」を原作とした映画,「地球最後の男」(The Last Man on Earth)が1964年に公開されており,「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の,一軒家にたてこもった主人公が無数の怪物達に囲まれるというシチュエーションは,「地球最後の男」に影響を受けたとロメロ監督は述べている。最初はゾンビという言葉も使われておらず,ロメロ監督自身が“グール”であると説明していたことも興味深い。
黒人俳優を主役に起用したことも,当時としてはインパクトが強く,さらにカニバリズムなど,社会的タブーに挑戦した作品でもあった。
ストーリーは人種や差別とはまったく関係ないが,それまで命を賭けて戦ってきた主人公ベン(デュアン・ジョーンズ)が,助けに来たはずの警官隊によって撃ち殺されるというエンディングは賛否を呼んだ。
今では想像もできないが,1960年代のハリウッドは制作費の高騰と,勃興してきたテレビによって壊滅寸前の状態に追い込まれていた。ロメロ監督も,ニューヨークの制作会社に企画を持ち込んだものの断られたため,地元ペンシルヴァニア州ピッツバーグの仲間達と一緒に「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」を自主制作することにしたが,その対価として,ホラー映画に社会的なメッセージを込める自由を手に入れたのだ。
11万4000ドル(約1200万円)の予算で作られた「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」は,たったの12館のみで公開されたが,ロングランを続け,1年後には収益が3000万ドルを超えるヒットにつながったという。
「ゾンビ」で広がった“ゾンビアポカリプス”
1973年の「マーティン」など,ゾンビの出てこないホラー作品も撮ったロメロ監督だが,北米で“デッドシリーズ”と言われるゾンビ映画を,生涯で6本制作している。その中でゲーム業界に最も大きな影響を与えた作品は,1978年に公開された第2作「Dawn of the Dead」(邦題: 「ゾンビ」)だろう。
本当に怖いのはゾンビではなく人間だというメッセージも映画には込められていたが,それらを含めて「ゾンビアポカリプス」(ゾンビによる世界の終末)という,現在まで続く概念を確立した記念碑的な作品だったのだ。
「ゾンビ」の世界観とスタイルは多くのクリエイターを刺激し,ゲーム業界もその例外ではなかった。グラフィックスが2Dから3Dに移りつつあった1990年代,カプコンの「バイオハザード」(1996年)や,セガの「ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド」(1997年)など,ゾンビをテーマにしたアクションゲームやサバイバルホラーが次々に登場した。
とくにカプコンは,ゾンビをゲーム化することにおいて中心的な役割を担っていたように思える。ロメロ監督は「バイオハザード 2」のテレビコマーシャルでメガホンを取っていたし,最終的には実現しなかったものの,「バイオハザード」シリーズの映画化にも参加する予定になっていたという。
海外では,「Zombie Zombie」(1984年)や,Infogramesの「アローン・イン・ザ・ダーク」(1993年),さらにLucasArts Entertainmentの「Zombie Ate My Neighbors」(1993年)など,ゾンビをテーマにしたゲームが次々に登場し,「Left 4 Dead」(2008年)や「Call of Duty: World at War」(2008年),「Killing Floor」(2009年),そして2010年の「Red Dead Redemption:Undead Nightmare」など,現在の隆盛へ続き,2013年の「DayZ」や「The Last of Us」など,ロメロ的世界観を受け継いだ名作も次々に生まれている。
もはや死すことはない,ロメロ監督の影響
ゲームについてはそれほど感心がなかったロメロ監督だが,2005年にはイギリスのKuju Entertainmentというゲームメーカーが,「George A. Romero's City of the Dead」というFPSを発表しており,ロメロ監督も脚本や監修で関わっていたという。しかし,映画シリーズの版権を保有するMKR Groupという会社との交渉が難航しているうち,開発を担当していたHip Interactiveが倒産してしまい,最終的にゲームはキャンセルされた。
MKR Groupは,2006年にリリースされた「デッドライジング」の設定が「ゾンビ」にそっくりであるとして訴訟を起こしたこともある。
また,「コール オブ デューティ ブラックオプス」(2010年)のゾンビモード「Call of the Dead」のDLCにロメロ監督が「ジョージ・A・ロメロ」として登場したことは,多くのFPSゲーマーならよく知っているはずだ。2012年にブラウザゲームとしてリリースされ,現在はAndroid版が無料配信されている「Zombie Squash」というゲームにも,ゲーム内キャラクターとして登場している。
なお,Steamでは「Romero’s Aftermath」というFree-to-Playのアクションゲームが公開されているが,これは「The War Z」というゲームのタイトルを変えたもので,内容は同じだ。実際のゲームとはかけ離れた紹介文が問題になり,Steamでの配信が中止された(関連記事)「The War Z」だったが,さりげなく復活していたのだ。それだけでなく,タイトルのロメロとは,ロメロ監督の息子であるジョージ・C・ロメロさんの“お墨付きの証拠”だというのだから,いささか意味不明だ。
ロメロ監督は,1985年の「Day of the Dead」(邦題: 「死霊のえじき」)以降,20年の沈黙を経て,2005年に「Land of the Dead」,2007年には「Diary of the Dead」,そして2009年には「Survival of the Dead」と,ゾンビ映画を矢継ぎ早にリリースしたが,ハリウッドの映画産業に伍するほどのパワーはなく,B級映画として細々と公開されていたという印象を残すに留まった。
2010年に始まり,大人気を獲得したテレビドラマ「ウォーキング・デッド」や,ブラッド・ピットさんを主役にした2013年の大作ゾンビ映画「ワールド・ウォー Z」など,ゾンビが不動の存在となる中,「ゾンビは完全にハリウッド化し,我々のようなクリエイターには資金が回ってこない」と恨み節を語ったこともあるというロメロ監督。実際,「ウォーキング・デッド」は1話あたり240万〜300万ドル(約2億7000万〜3億3600万円),そして「ワールド・ウォー Z」では1億9000万ドル(約210億円)という制作費をかけている。
ロメロ監督は最近まで,ゾンビファンが集まるイベントなどにたびたび出席しており,また2016年には,「George A. Romero Presents: Road of the Dead」という新作映画に脚本家として参加したという。ロメロ監督のゾンビ映画が今後作られないことは残念だが,ゲームを含めたエンターテイメントにおける彼の功績が死ぬことはない。そんな偉大なるクリエイターに哀悼の意を捧げつつ,ロメロ監督の作ったゾンビ映画シリーズをまた,最初から見直したいと思う。
著者紹介:奥谷海人
4Gamer海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,本連載「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年の開始以来,4Gamerで最も長く続く連載記事。欧米ゲーム業界に知り合いも多く,またゲームイベントの取材などを通じて,欧米ゲーム業界の“今”をウォッチし続けている。
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